はうすプロジェクト

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アルベルゴ・ディフーゾはどうやって生まれたの?

第一回はイタリア発祥のまちづくりシステムであるアルベルゴ・ディフーゾの仕組みについて紹介しました。

 

今回はイタリアでアルベルゴ・ディフーゾが生まれた背景についてまとめます。

1フリウリでの地震からの復興

アルベルゴ・ディフーゾが生まれたきっかけは、1976年5月6日にイタリアの北東部のフリウリ地方で発生したM6・5の地震でした。137もの小さな村や集落が被害を受け、多くの人が壊れた家屋の下敷きになり命を落としました。その後、人々の尽力によって10年ほどかけて町は修復されて、耐震化もなされました。

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フリウリ州の白い漆喰壁の伝統的な城

2建物の修復は終わった…けど人が戻ってこない!

人々の尽力によって被災地の村や集落の建物は修復されましたが、村に人の気配はなくなってしまいました。震災で仕事を失った人々は他地域へ移ったり、スイスやオーストリアに移民に出た人々も多くいたからです。村の建物の多くは空き家と化していました。

3「派手なものは何もない」から「必要なものは何でもある」へ

フリウリ州の小さな集落に宿の経営について講義するために呼ばれたのが、現アルベルゴ・ディフーゾイタリア協会の会長であるジャンカルロ・ダッラーラ氏です。空き家が多く人の気配が少ない村で何ができるのか考えていたところ、そこには大きな史跡や有名な美術館は無いものの、雄大な自然と多くの空き家が存在することに目をつけました。そして、それらの空き家を改装して宿泊部屋とするアルベルゴ・ディフーゾを実現させようと動き始めました。

4第一号の誕生と広がり

アルベルゴ・ディフーゾの試みは当初なかなか実現しませんでした。空き家の所有者がイタリア国外に居住していることが多かったからです。1990年代に入りようやくアルベルゴ・ディフーゾのシステムの第一号が誕生しました。それはサルデーニャ島の中西部にあるボーザという町でした。サルデーニャ州自治体が初めて正式にアルベルゴ・ディフーゾを宿泊施設として認可したことによって、州内にいくつもアルベルゴ・ディフーゾが開始されました。

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サルデーニャ島の中西部にあるボーザの街並み wikipediaより引用

5アルベルゴ・ディフーゾの現在

2018年4月時点でアルベルゴ・ディフーゾ協会に登録されている宿泊施設は、イタリア国内で101軒あり、また登録はされていないもののアルベルゴ・ディフーゾの定義によって作られていると判断されるものを含めると、約150軒ほどが該当します。イタリア全土に存在しますが、特に中部〜南部の地域に多く見られます。

6まとめ

「何も無い」とされる地域が外から観光客を招きもてなせるようになるためには、経営側がどのように地域の魅力を再編成するかが非常に重要だとされます。そのため、イタリアのアルベルゴ・ディフーゾのオーナーは一度地域の外や国外で様々な経験をして、地域を外からみる視点を十分に養っている場合が多いようです。観光客が増えると、雇用も増えて住民も戻ってきます。

 

都市へ出て行く選択肢しか無いように思えた若い人の中でも、その地域への愛着が生まれて何か新しいことにチャレンジする人が生まれるかもしれません。実際にイタリアでは若い人が外国人観光客の需要を視野に入れたワインやチーズ、オリーブオイルの生産、畜産といった一次産業に関わる例が増えています。

 

日本においても、自分の地元は「何も無い」と思ってしまいがちですが、アルベルゴ・ディフーゾのシステムは住民にとって思っても見なかった魅力を発掘できる面白い取り組みですね!